卓郎のツールド熊野レポート


山崎さんに「タクリーノは一大勢力やな」と熊野で言われたがな


タクリーノでのびのび走ってくれたまえ
「秋田。明日からの熊野でステージ優勝したら安井さんが抜きにつれってくれるて言うとったで。がんばってや」と熊野出発の僕。
「安井さんが抜いてくれはるんですか?」とアキタケン。何を言うとんねん。大丈夫かいなこいつ。
TACURINO−MBKとして迎えるビッグレースの序曲はこんな風にして始まった。
紀伊半島のど真ん中を南に走る車の中ではタカシ監督や辻選手が国内BR−1トップ実業団裏話に花を咲かす。ここに書けないのが残念だけど、話の内容はひどく人間的でヒューマニズムあふれるドロドロ感情劇である。へえ。あの人って根ババやったんや。
そんな話の合間にもアキタケンは「ああ。早くレース走りたいな。誰にも文句言われずに好きなように走れるなんて、嬉しいなあ」と仕切りに自由なクラブチームの気風を謳歌する。やっぱりプロ生活は縛りもきつくて大変やってんなあ。選手諸君。タクリーノに来たら好きに走ってよいのだぞ。のびのびと思いっきり暴れてくれたまえ。


西成のベッティーニはここで頑張りたいのだ
そんなわけで僕も思いっきり暴れるぞ。まずは第一ステージ赤木川周回平坦コースだ。このコース、僕は2年前にBR2.3レースで2位に入っている。スプリンタータイプの僕が活躍できるのは今回じゃこのコースぐらいだから、なんとしても上位に食い込まねばと鼻息荒く挑んだのだけど、結果は8位。普段からBR−3選手のコマッチャンやM岡さんには「ゴール勝負では絶対動ける場所をキープしなあかんよ」なんていっときながら、位置取り誤って詰まってしまい、きちんとモガけなかった。ホント情けない。
BR1レースでは辻選手が11位と根性見せてくれました。あのメンバーの中で前に絡んでいくのは大変なことやろうと思う。見ててもBR2.3レースと速さが違うもんなあ。
その他、アキタケンは余裕の走りで調子よさそう。「上りでのアタックで自分がかかってるとわかりました。たぶん今日のメンバーの中では10本の指に入るぐらいです」と非常に頼もしい言葉。そして明日の山岳コースも力を温存し最終日の太地で上位を狙うと言ってくれた。楽しみである。最後にタカシ監督も命からがらの完走扱いで明日に駒を進めてくれた。


アヤコちゃん女の分泌臭を放つのはやめなさい
第二ステージ。山岳コースである。僕には出番のないコースなのでそれほど力んでない。適当に走る日なのだ。それにしても豊岡アヤコはやめてほしい。彼女が前を走るとレースの現場とは思えないような女の香りがフローラルに僕を襲うのだ。勃起しそうになって力が抜ける。ひいいいいいいい。と成りながら千枚田登りはじめで早くも千切れ、結果は85位ぐらいだったかなあ。一方の豊岡アヤコは香料系の分泌臭を放ちながら男子に混じって39位! 強くなったもんだなあ。
BR1のレースでは昨日に続いて鈴木真理が頭を取る。2位にはシマノの大内選手。その昔大内とは、なみはや国体でチームパシュートを組んだことがある。その時彼はまだ大学生でたいして強くなかった。垂らして千切れて「こいつはアホか」と思ったのだけど、いやいや人間、精進とは大事なことである。へなちょこのガキが今、素晴らしい選手となって僕の前を風のように通り過ぎた。
豊岡と大内。どちらも僕が知らないうちにすごい奴になっていたのだ。若いって素晴らしい。
この日のタクリーノBR1選手はアキタケンと辻が温存の完走。タカシ監督は今日も命からがらで明日に駒を進めた。


熊野はポリネシアン不思議面白プレースなのだ
ところで第二ステージ前日に泊まったのが熊野市だったのだけど、僕は夕食前に民宿のおばちゃんにママチャリを借りて町を散策し、ささやかな面白不思議を発見した。興味深かったのは五月なのに、しめ飾りを玄関に吊ってる家がたくさんあったことだ。ずぼらな人が多いということかな。ポリネシアの血がそうさせるのかな。実際この地方の人々はだんごっぱなで変に彫が深くて、どうしても南洋からの渡来を想像させるのだ。でも聞けば、ここではしめ飾りは大晦日に付け替えて一年中吊るしているものらしい。不思議な風習であるのだ。
その他、僕が散策して気づいたことで「熊野のネコは脚が長い」というのがある。真偽のほどは別として、こういう事実がある。大航海時代にネコは食料庫のネズミを退治するため船にはなくては成らない存在だった。だから港町には外国から来たネコの血統がたくさん流入し、大西洋をはさんだアムステルダムとニューヨーク(昔はニューアムステルダムといいました)のネコの遺伝血統を調べるととてもよく似ているらしい。一方でネコの行動範囲はとても狭くて10キロ離れた村どうしでネコの交配はほとんどおこらないという。だからニューヨークのネコの血統は10キロ離れた村より、アムステルダムに近いそうなのだ。つまり熊野のネコの足が長いのはポリネシアから連れてこられた血統だから日本のネコと少し違うのだ。
なんて話をみんなで食事しながらしていたのだけど、横に座るアキタケンはそんな話には全然興味がないようである。横顔の表情に「おっさんなにゆうとんねん」と言うのが見て取れる。だいたいからしてアキタケンはツマラン奴だと思う。僕にとっては人生最大の楽しみともいえる夕食時のビールも嗜まず、まるで燃料のように食事をかきこんで、そっこうで布団の人となるのだ。ああ。ツマンナイ奴。
でも良く考えてみれば選手とはそもそもそういうものであるべきなのだ。僕は放浪旅行や夜遊びやバーの人に成ったことからして、すっかり汚れてしまったのかもしれないとさえ思う。僕だって昔はそうだったはずだ。ツマンナイけどストイックであるべきカッコよさがそこにあるのかも。この後それは最終日の太地ステージで、見せ掛けではない本当のカッコよさへと昇華するのだった。


アキタケン爽快な快走!
第3ステージ。太地半島周回コース。BR2.3は9.6kmを6周する57km。BR1は11周の105kmである。コースには、短いけれど脚と心臓に応える登りがあり、路面が悪くてテクニカルな下りと、平坦のタイトなコーナーが連続する真の実力が問われるステージである。このコースを走った選手はレースに対するテクニックとマインドの多くを学ぶことが出来るに違いない。M岡さんもコマッチャンも岸田さんもきっとメチャいい経験になっただろう。BR2.3の僕たちの結果は、M岡、岸田、上阪が第二集団でゴール。総合では上阪36位。M岡38位でした。完走したのはそれでよいことだけど、次のステップとしてどんなことしても先頭集団についていく事を考えなければいけない。やっぱりハードな練習しかないか。
さて注目のBR1のレースである。「父親が応援に来てくれましたが声をかけないでくれと言いました」というアキタケンが2周目から6人の果敢な逃げに乗る。存在をあいまいにしながらプレッシャーなしでこっそりと走りたい彼に、そんなこと知らない僕らは「アキタ!!頑張れ!!」と声を張り上げる。それでもアキタケンの走りはのびのびと爽快に見える。アキタは今、真のスポーツの喜びをかみ締めているのだ。
ただ2周目からの逃げは少し早すぎたんじゃないのかなあ。なんて心配してた。だけど約2分30秒の差はラスト3周になっても縮まらない。うむむむ。これはひょっとして逃げ切るのでは。僕は影のチームスポンサー「さるお方」に携帯電話を入れる。
「アキタが残り3周で4人の逃げに乗ってます。2分30秒差だからいけるかも。逃げ切ったらボーナスあげても良いですか?」
「ホォォォォォォォォォォォォォォォォOK!」
というわけで僕はさっそく先頭が通過するタイミングで「アキタ! 逃げ切ったらボーナス出るぞおお!」と叫んだのだった。
後で聞いたら、「一周目にコンタクト飛ばして、ずっと片目で走ってました」と言うアキタケンだが、4位でゴール。表彰台は目の前だったけど、この日の走りは順位を超越した血気果敢なレースの美学に象徴されるインプレッシブな出来事だったに違いない。成功と幸福が違うように、感動とドラマは順位では計り知れないものなのだ。とにかく僕たちは同じユニフォームを着たある一人のライダーの純粋な精神の燃焼を見て胸を熱くしていた。
というわけで自転車漬けの3日間。僕たちは、自らの選手としてのステップアップのための経験と、トップレースを観ることによる感動とモチベーションのふくらみ、そしてチームが一つになって仲間との意識の共有できた、そんなすべてを心に刻むことが出来た。
しんどかったけど素晴らしい3日間でした。サポートしてくれた植田さんと宋さん、それに店番してくれたアリちゃんありがとう。
すでに僕の頭の中は来年の熊野を走っています。

上阪